今の時代にOVA版吸血姫美夕の再考を試みる

5月 24, 2011 · Posted in エッセイ風文章, 学業関係, 徒然, 日本文学 · Comment 

私がアニメにハマる事は滅多になくて、リアルタイムで見ていたTVアニメと言ったら久々に追っ掛ける事となったまどか☆マギカを例外とすればナディア辺りで最後だったように記憶している。また、ナウシカとかラピュタとかいった宮崎作品は、実は中学・高校時代に視聴覚教室で見ていたもの。勿論自分一人が見ていた訳ではなく、家庭科か何かの時間の時に…だったのだ、何故か。
その分、高校時代は実兄の影響もあってOVAの方にずぶずぶとハマって、一時はOVA専門雑誌に投稿して掲載される事もあった程だったのだが、受験とか大学進学とかでそっちからも離れてしまった(あと、近場にレンタルショップがなかった事も理由だった)。
勿論私の場合はこれ以外にも相応の理由があって、まずTVアニメの場合は帰宅の遅かった私にとって時間的な制約があまりにも厳しく、劇場アニメの場合は田舎の事ゆえに劇場まで出るのも一苦労だった次第。何しろ高速道路なんてものはまだ走ってなかったものだから、どう頑張っても劇場のある県庁所在地まで2時間は掛かってしまう。私がアニメから離れていった理由はあと一つあって、それは私自身の目の問題。単純な視力の低さというよりは極度の度数差ならびに見える方の目の視神経が通常の半分しかないゆえに生じる、異様なまでの目の疲れやすさに起因していたりもする。
ナウシカとかラピュタとかいった王道の作品群も良いけれども、此処はもう少しコアだけれども間違いなく名作だと断言できるものを挙げてみよう。

これをご覧の方々の中で、『吸血姫美夕』の名をご存じの方がどのくらいいるだろうか? マンガにもなり、TVアニメ化もされたというこの作品、実はOVA版が一番最初の「オリジナル」とでも言うべき作品である。OVA版美夕の何処がどう良いかと言われると、まず単純な勧善懲悪では済まされない何処かやるせなさの存在する物語、それから今になっても古さを感じさせない作画のクォリティの高さ。音楽も単独でBGMにできる性質のものではないが作品には合っていてその点では問題にはならない。私はアニメの分析は専門外だが、それでもこの作品が学術的に文学などの視点から取り上げる価値のある作品だと思っている。この点に関しては、ほぼ確信に近いと言えるだろう。この作品に関しての先行研究があるかどうか、興味深いところである。機会があったら本作については学術的観点からの解析を試みてみたい。

余談:つい先日、再度見たくなってOVA版吸血姫美夕のDVDを購入し、更にまどか☆マギカに至ってはブルーレイで買ってしまいました(笑)←しかもブルーレイは再生用のハード持ってないのに

基礎体力をつけるための取り組み・その2

5月20日の万歩計ウォーキング中に撮った夕景ウォーキングを始めて今日で5日目…一昨日は居合道の稽古日でしたから一回お休みして、昨日からまた再開。居合道の稽古でもやはり下半身が安定せず筋力の衰えを感じずにはいられませんでしたので、満を持して近所のホームセンターにて万歩計を用意してからウォーキングに臨んだ次第です。
幸いにして昨日、今日ともに天候に恵まれて一日当たり約4000歩前後歩いている次第ですが、やはりこのくらい歩くと体力的にも程よい具合に堪えますね(30代の体力ではない、とも言われかねませんが…)。しかも今日は通院で更に歩いている訳ですし、単純な歩数は更に稼げていたりも。因みに画像はいずれも本日撮影したものです。
今後の問題は、悪天候の時の対策をどうするか…といったところですね。雨合羽を持っていたはずなのですが、それが何処に行ったかが分からなくてどうしたものかと思案している最中です。

それにしても今日は夕日が真っ赤で、もし写真撮影が目的なら迷わずカメラを…それもFM3Aをセットしたところだったのですが、残念ながらカメラ機能付き携帯しか持ち合わせておらず、こういう感じになった次第。本体が軽いので、手ブレの恐怖と格闘しつつの撮影となりました。

基礎体力を付けるための取り組み・その1

居合道の先生に言われて基礎体力を付けるためウォーキングから始めて、今日で3日目。本日から段ボールの靴箱@引っ越しの際の荷物から見つけた運動用の靴を履いてウォーキングに取り組んでいる次第です。
で、今日は予定コースの途中にあるホームセンターで万歩計を購入していこうと目論んでいたのですが、折悪しく棚卸しのため閉店だったんですね、これが。これは何だ? どこか他の店で万歩計を探せって事か…?

それはともかく、明日は片町文化センターでの居合道の稽古日なので、天候次第ですが(晴れるとの予報なので多分問題ないかと)自転車で最寄り駅まで出ようかと考えております。まあ駅までは徒歩でも10分以上掛かりますが行けない事はないのですが、何分にも夜の事ですので行きはともかく帰りの時間帯に一人で歩くのは正直さすがに怖いものがあるんですよ…。道着一式ならびに刀袋という荷物もありますし。家の近くから最寄り駅まで出るバスもあるにはあるのですが、最終便がPM7時台でははっきり言ってお話になりません。←実は引越前に住んでた場所から片町での稽古に参加した後、今は暖簾を下ろした兄弟子殿のお店にてまったりと過ごす事ができていたのは、単に最寄り駅から自宅すぐ近くまで出るバスの最終便の発車時間が遅かったため。

あと、検索を掛けてみて分かったのですが、現住地にも市民(市内在住者も含む)が使える温水プールは存在している模様です。ただ、経済的には一寸どうかと思ってみたりするのですが…と申しますのも、1回に付き400円という利用料は今の私には決して安いものとは思えないんですよね、真面目な話。双極性障害によって(精神)障害者手帳3級の認定を受けている私は以前住んでいた市内の市民プールではこの条件だけで無料となっていた模様なのですが、今住んでいる方の市民体育館温水プールでは、そうは問屋が卸さないようです。利用料減免条件の一つに身体障害者の方々は半額…という割引条件があるのですが、この条件には私は該当しないので、きっちり大人料金を支払うしかないんですよね、とほほ…。またつつじヶ丘の方にある小学校の温水プールを開放している模様で、こちらは「心身障害者は半額になる」のですが、それでも無料にはならないんですよね…。(この後、武蔵野市の体育施設のページを見て盛大に凹んでみたりも/利用料のみならず、駐車料金までタダになるという…ナニコレ? 何コレ?)
住んでいる場所が違うだけでもこんなに差が出て来ると言う辺りが、正直泣けてくる今日この頃です。調布市公営の温水プールはいずれも現住地からは通いにくい場所にあったりもしてますので、水泳に関してはもうちょっと経済的に落ち着いてから比較的出て来やすい市街地にあるフィットネスクラブに入る方向で考えてみたりもしています。

という訳で、万歩計を購入するのは明後日以降になると思います。何処で買うかは正直悩み処ですが、新宿ヨドバシ本店辺りに出れば売ってますかしらん?

基礎体力をつけるための取り組み開始

前々から自分でも認識していた事ではあるが、私は唯でさえ瞬発力はあっても持久力に乏しい上に、スポーツやら何やらから何年も遠ざかってしまった所為で基礎体力そのものがすっかり衰えてしまっているのだ。それこそ懇親会の席で居合道の先生のお一人に「30代の基礎体力ではないね」と苦笑いされる程に。←まあ私自身否定できないし、するつもりもないが。
そこで私は、基礎体力をつけるために現在可能な限りの取り組みを始める事にした。基礎体力をつけるためのトレーニングと言えば、ウォーキングにランニング、水泳といった辺りがひとまずの定番であろうが、時間だけを掛けて金銭的なコストを掛けずに取り組めるものの筆頭と言えばウォーキング或いはランニングといったところだろう。しかし私はランニングに関して言えば、小学生時代から現在に至るまでずっとマラソンがすっかりトラウマになってしまっており、端から見ている分にはいいのだが自分で走る事を考えただけでぞっとする程なのである(中学生時代毎年4kmを走らされてすっかりヘトヘトになった事は、今でも記憶に新しい/200mまでの全力疾走ならさほど苦にはならないが…←これで日本文学領域における恩師の先生を驚かせた事すらある)。また、水泳に関しては私自身は寧ろ好きな部類に入るのだが、場所を選ぶというネックもまた存在している。ICU在学中ならそれこそGym(キャンパス内の体育館)に通い詰めて泳いだり筋トレに励んだりしたのだろうが、既に卒業した身ではそれもままならない。それこそ有料のスポーツクラブ会員にでもならないとこれらは不可能だろう。

そんなこんなで、とりあえず私はウォーキングから始める事にした。
始めてまだ2日目にしかならないが、道に躓いて転びそうになったり、足を取られそうになったりと早くも基礎体力の衰え振りを身に染みて感じる今日この頃である。
流石にうつ状態の時には無理だろうが、そうでない時あるいは風邪などで体調を崩していない時などには習慣として続けて行ければと考えている。

また、これ以外にも天候次第ではあるが、土曜日の居合道の稽古の折には調布市某所・府中市寄りの自宅から本道場(府中市郷土の森総合体育館/マップによると距離は約4.4km)まで自転車で通う事も、体力作りを兼ねて検討している最中である。多摩川沿いのルートを取れば、通えない距離ではないだろう。道着類の入ったバッグを籠に入れ刀袋を担いでママチャリを漕いでいくのも悪くはあるまい。まあこれは体力との相談ともなるだろうが。

ママチャリで思い出したが、サイクリングという名の誘惑がさりげに存在している事も忘れてはなるまい。大家さんとの取り決めで我が家には一台しか自転車を置けない上に、これ以上趣味を増やしてどうするんだ?と心の中でツッコミを入れつつ今は抑えているが、手を染めたらはまりそうで怖い己がいる事も否定できない。

ともあれ、文字通りの三日坊主にならないように状況をこのBlogにて定期的に纏める方針なので、今後ともどうか見守ってやって戴きたい。
次回はウォーキングシューズを引越後の荷物から取り出した上で、万歩計をどこかで調達してから歩いた結果を報告してみたい。

子供という存在に対する拒絶反応−「発達障害」であるが故に−

子供が社会にとって家庭にとって大切で掛け替えのない存在なのは、理屈の上では理解できる。しかし私の感情は子供を嫌い、拒絶する。何故なら私は、たとえ自分の子供だったとしても己の「聖域」を侵す事を決して許さない、「発達障害」と呼ばれる脳の特質を持ったまま大人になってしまったからだ。

これは私が最近Twitter上で流したTLの一つである。元を質せば、結婚して子供もいて現在育児休暇中という方の「子供は(素直に考えて)可愛い」という旨のTLに、心の中で思いっきり拒絶反応を示してしまった事による私なりのリアクションなのだ。
私自身はいまだ結婚なるものを経験していない独身者なのだが、私には兄夫妻の子供達がいる。実のところを言うと、以前住んでいたアパートの更新期限がそろそろ切れるという頃に兄夫妻宅への同居話を持ちかけられたのだが、通院の関係などを鑑みて結局のところ彼らならびに私の両親からの提案を拒否して一人暮らしを続けるという選択をした。兄夫妻の家庭における現状を鑑みると非常に申し訳ないとは思うが、結果的にはこれで正解だったと思っている。確かに私がいれば、子供達の教育ならびに家事(少なくとも炊事だけでも)に関する兄夫妻…殊に兄嫁さんの負担は軽減できるだろうし、またDr.達の説明をかみ砕いて翻訳できる程度の医学・生物学知識を持っている私であれば、子供達が医者に掛かった際に両親である兄夫妻により判りやすい説明が可能だと考えられるのは、私自身にも認められる事である。
しかし私にはどうしても譲れない線があった。もし兄夫妻だけであれば同居の話に即座にでも飛びついたかもしれない。だが問題は家庭内に子供達がいる、という事実であったのだ。先の私のTLにある通り、私はたとえ自分の子供であったとしても自身の心の「聖域」は絶対に侵されたくないと考える人物である。四六時中子供達に束縛されるなど、私には想像しただけでも嫌悪感で吐き気を催すほどだ。そうでなくても私にとって子供の声すら耐えがたいものであり、病院の待合室や電車などで大声を上げる子供達に居合わせてしまった場合などには耳栓を必要とする程である。そんな私を小さな−私のおおよその許容範囲を考えると、義務教育に入るより以前の−子供達がいる家庭内に放り込むなど、それこそ私にDV(Domestic Violence/家庭内暴力)を起こしてくれとでも言わんばかりの所行としか他に言いようがあるまい。

もしも…の話であるが、将来私に結婚を持ちかける(或いは私の方から結婚を持ちかける)相手ができたとして、何処までなら許容できるか、また何処からは譲れない線であるかを書き出してみると、まず社会的契約としての結婚ならば全く問題ない。突き詰めれば二者の間における契約であるからだ。次にSexualな関係を相手から求められた場合、私の方も真に愛する相手であるのならばそれに応じる…と言うよりも、私自身の方がそれを望む。
だが、私に許容できるデッドラインは此処までだ。そこから先…即ち、子供を作って育てようと求められれば、私には否と応じるしかない。そもそも併発してしまった双極性障害によって服薬を余儀なくされている身である私の、飲んでいる薬というのが催奇形性(=奇形児が生まれるリスクの上がる性質)のある薬のオンパレードであり、また無事に生まれたとしても育てる段階において「発達障害」を抱える私がDVを引き起こすリスクは甚大であるからだ。娘である私の子供を望むうちの母には申し訳ないが、これは私にとって決して譲れない線なのである。

再度書くが、私とて子供の大切さ・尊さは理解はしている。少なくとも理屈の上では…という条件が付くが。しかし私の生活圏内に入り込んできた途端、彼らの存在は私にとってのストレッサーと変貌してしまう。否、ストレッサーという言葉すら甘いかもしれない。誤解を恐れずに書けば、状況によっては私にとっての「害悪」とすらなってしまう現実があるのだ。時と次第では己の凶悪な感情を抑えるのにすら、必死になる程に…。
だが、これとてごく最近まで看過され何の対応もされずにきた私の「発達障害」によるものだ、と言えばどうであろうか。私はこの現実を受け入れ、その上で大人としての責任を以て今いる子供達を、そしてこれから生まれて来るであろう子供達を傷つけないための行動を取るしかないのだ。