相河にとっての『夜会』・その1

8月 23, 2008 · Posted in 中島みゆきの歌と言葉, 徒然 

私がみゆきさんに本格的にハマったのは高校の頃だから、必然的に『夜会』との出会いもその頃になる。当時アルバムでは『歌でしか言えない』『EAST ASIA』が発売されていて、いずれも私はサルのように聞き倒した記憶がある。
当時地方(四国)在住者だった相河のこと、基本的に『夜会』はビデオで追いかけていたのだが、中でも特に私の人生においてつらい時に勇気付けてくれたものが『Vol.4-金環蝕-』である。日本神話の太陽神にまつわるエピソードから題材を求めた作品であるのだが、其処はみゆきさんならではの展開になっている…とだけここでは書いておこう。
今だから過去の事実として言える話だが、私にとって最初の大学進学は意に沿ったものではなかった。私の真に学びたいものは其処にはなく、また転科などといった選択の余地も一切与えられてはいなかった。ごく一握りの例外的な人々を除いては、現世的な名誉を私に求めさせるだけだった。辞めたいと言ったのに、真に受けてもらえなかった。
そんな状況に私は絶望し、半ば引きこもりのような生活をするようになってしまった。そうして心の殻を閉ざして泣くばかりの日々を過ごしていたときに、再会したのが『金環蝕』である。
当時の私はこのビデオの…特にラストシーンの『DIAMOND CAGE』から『泣かないでアマテラス』のシーンにかけてを見るたび毎に、ただ只管泣くしかできなかった。それしか感情を吐露する術を持ち合わせていなかった。そうやっているうちに深く沈んでいたつらさ悲しさが洗い流されていくような感じがしていた。だから私は何回も、何十回もこのビデオを再生していた。普段ろくにテレビなどの動画を見ることのないこの私が、である。
そういった状況が近年変わってきた。ここ数年…いや、ここ数ヶ月における変化ではあるのだが、「この作品になぐさめられる者」から「この作品と共になぐさめる者」へと、私自身の立ち位置が変わってきたのだ。「泣いて終わらないで」と声を発する者へと、立場が変化しているのだ。即ち、作中における天照大神の立ち位置から、アメノウズメのそれと同じ場所へと移行しているのだ。
この変化には、1.30以降のbreakthroughとでも言うべき一連の出来事が大きく関与しているのだが、己の弱さを嘆いてばかりだったそれまでの自分からは考えられなかった事である。10年以上を経て、やっと私は成長することができたのだろうか…と『金環蝕』に対するスタンスの変化を見るにつけて考えてみたりもする。

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